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  • 執筆者の写真hypnoeriko

【日常】”最悪!”・・・とは言い切れない

更新日:2022年11月1日

むかしむかし、わたしがまだ学生だった頃にそれほど親しくない段階で、ある女性から言われた言葉がありました。

女性「えりちゃん、ほんとおとなしいのねぇ」

Me(いや、う~ん。別におとなしいわけじゃあないんですけどね・・・)と内心の返し。

女性「おとなしいっていうのにも2つあってね」

Me(ん?2つって、どんなん??)

女性「1つは、寡黙なタイプね」

Me(かもく・・・?はいはい。)

女性「で、もう1つは、ほんとにおバカさんのタイプよね」

Me(おバカ・・・・・がーん!)


この会話(になってないけど(^^;)がずっとずうぅっと頭を離れなかったわたしは、このやりとりから、やがてこのように解釈したのでした。

”わたしはやっぱりバカで何も知らなくて、だから会話に参加できないんだな”と


初対面だったその女性は当時のわたしよりずっと年上で、”オトナの女性”という感じ。

コミュニケーション能力がとても高く会話力を備えていたし、華やかな雰囲気のある都会的な人でした。そして表現がとてもストレートで強い女性を思わせるようでした。


地方から出て間もない気後れバリバリの娘っ子にとっては、まさに天と地ほどの違い(笑)。












その後、何年か関わっていくうちに彼女が愛情深く繊細な女性だということを理解しました。ただ、当時の彼女が話したことの意図や真意は曖昧なままでこちらから聞かなければ、向こうから出て来る話題ではなかったからです。

そうしてわたしはますます会話のネタを提供したり引っ張っていくなんていうことなく、グループにいても人のやりとりを聞きながら相づちや合いの手を入れる役割でした。

そもそも持っていた、”重要じゃない自分”を強化していったんですね。


わたしの話なんてつまらない

わたしの話なんて重要じゃない

わたしの話なんて時間の無駄

いつもあったわけではないですが、会話をしている時に上に書いたような言葉のうちのどれかが、自分のこうしたいという気持ちにブレーキをかけてしまっていたようです。

自然に、わたしは相手の話を聞くことでコミュニケーションをとっていました。

立ち位置は完全に”聞き役”です。

今思うと自分の話を積極的に聞いてほしいという行動は皆無だったかもしれません。

聞いて聞いて!をあきらめていたのかなぁ?

それでもその空気感で十分楽しかったのは間違いないんですけどね。


学生の頃は友人の話を聞いて笑いあったりじゃれあったり、時には本気で心配したりの日々でした。

あー青春♬

社会人になってからも、同期や先輩、上司の話を聞いていました。

共通の話題をこちらから振ることはできるようになりました。

時々、意識をお留守にしながら聞いているフリだけしてました(と、今言う 笑)。

聞いてるフリでも大抵うなずいていて、お話聞いてるよぉ~のパフォーマンスはおこたらず!(^^;

たまに返すコメントがずれていて、そのうち「天然」と呼ばれるようにもなりました。

(天然じゃないの、ちょっとお留守だっただけなんだけどね・・・と、今なら言える)

父親や叔父ぐらいの年代の上司が昔話をする時が結構好きで、へぇ、とか、時々質問を返したり。

相手が話してくれる話題をただ聞いて、わからないところはこちらから質問して、場面や様子を想像して笑ったり驚いたり、そのやりとりが心から楽しいと感じられていました。


おそらく、このようにして人の話を聞く姿勢ができあがっていったような気がします。


気後れ娘っ子の頃からだいぶ経って再会した、あのオトナな女性は相変わらずステキでストレートな表現をする人でした。

彼女がわたしに言った「おとなしい子エピソード」を、そういえばこんなこと言われたんでした♫なんてさらさらっとお伝えしたら、彼女は覚えていませんでした。

さらには「あら、そうだった?」ぐらいな反応でした。

でも、当時を思い出しながら、

あの頃は自分の気持ちをストレートに出していくことが普通だったこと、

”おとなしさ”の2つの意味を自分なりに一般化して語っていたこと、

あなたがおバカなのだと言いたかったわけじゃ、決してない、

誤解させてしまったならごめんなさいねと、

そんなことを相変わらずの熱の高い口ぶりで、話してくれました。

当時、彼女は悪意を持っていたわけではなかったんだということは確認できました。

言われた当初は気にしたし思い込みもして、重要じゃない自分を強化してしまったけど、結果わたしは人の話を聞くお仕事をしていて、人の話を聞くことの大事さを熟知していて、そういうことが自分は好きなんだなと実感しています。

その女性とは、今では皮肉めいたユーモアを言い合えるぐらいな関係になっています。


思い込みはその時の自分をガッチガチに縛りこみます。

しかも他者に言われた言葉って案外、自信のない年代や迷いのある時期にはストレートに入ってきがち。さまよう思考を固定させたい気持ちがブースターになったのでしょう。

でも、仮にわたしのような会話をわたし以外の人が同じように聞いていたとして全員が同じ思い込みをするとは限りません。

元々自分をどう捉えているか、その背景(経験や決断)がベースにあっての反応から、信念を強化していたんでしょうね。


いろんな感じ方、受けとり方はありますが、もし今ここで誰かの言葉に自信が揺らいだり不安に思うことがあって辛くなったら、信頼できる誰かに話を聞いてもらいましょう。

なにに引っかかっているのか、どういう感情を今感じているのか、それを言葉にすることで心の整理ができたり自分を客観的に捉えることができます。

また、自分とは別の解釈や視点、アドバイスを聞けたら感じ方や解釈に幅が広がります。

結論を見いだせない”思考のメリーゴーランド”、それを握りしめている手を放し、離れましょう。


それと個人的に思うに、思い込みって怖いぐらい自己暗示にかかっちゃいますけど、それがストロングポイントになり得る場合もあります。


”このままずっと最悪なまま!”とは言い切れない。

まさに、ぺこぱ!です。








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