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  • 執筆者の写真hypnoeriko

【日常】死者とのコンタクト

更新日:2022年5月10日

<怖い話ではありません・・・! (^^)>


この4-5年、参加しているワークショップがあります。

↓ ↓ ↓

星海ケンのオフィシャルサイト

https://www.neutral-ken.net/


そのWSでは自分の意識領域の枠組みをはずし拡大させて、五感で様々に知覚し多くの情報を得るという試みができるワークを用意してくれています。

初めて参加した理由は ”答え合わせがすぐにできる”から、でした。


その頃、セッションでクライアントさんの話してくださった場面の細部とわたしがイメージしたことが一致することが何度かありました。

いわゆるシンクロということになりますが、面談やセッションの場合は一致しているかどうかをその場で確認できるので答え合わせもできている。

でも日常生活でそのシンクロ度合いはどのぐらい起こり得るのか、自分にはそういった知覚する能力があるのか、それが知りたかったのです。逆にいうとそれさえわかればいいやぐらいな気持ち、1回だけ参加のつもりでした。


そして今もワークショップには継続して参加しています。

もちろんシンクロが起きるとおぉ!っと高揚したり、答え合わせしているような感覚もありますが、一方で、自然なコトと受けとめている自分もいたりします。

それがサイキックな領域ということなのかどうか実際のところはわかりません。










このワークショップでは、”亡くなった人とコンタクトする”ワークがほぼ毎回あります。

コンタクトをとる相手は参加者の関係者(故人)で、その方の写真を入れた封筒を椅子の上に置いてもらいます。

他の参加者は自身のイメージの中で写真の人物に会いに行きその人の情報をいただきます。グループワークで行うので、グループ内にいる参加者それぞれが受けとった情報が断片的にあり、それらをシェアしつつ、故人が過ごした人生を想い描くのです。


わたしが今学んでいるカウンセラー講座でも『喪失のワーク』というものがあります。

亡くなった家族や愛する人と対話するという心理療法ですが、心理の世界においても身近な人を失うことで喪失感を感じたり心や体にマイナスの影響を伴うことは認識されしていますし、『喪失のワーク』はその心身状態を改善し得る方法として存在します。

亡くなった人と対話をしたり故人の情報を得ることは、今まで止まっていたクライアントさんの時間を進めるためにも非常に有用だと感じています。


ちなみにこの死者とのコンタクトですが、けして おどろおどろしいものではないんですよ。

いわゆるミディアムシップのようなことを参加者それぞれが行い、各自がパズルのピースを持ち寄るようにやっていくのです。かなり正確な情報を積み重ねていきます。

しかもミディアムシップを仕事にしているようなプロの方はそこにはいません。


情報としてはお名前のみ。

それ以外は得られないので、自分が受けとった情報と他の参加者が受けとった情報が一致したり、故人の情報(事実)と一致した内容は完全に”シンクロ”になります。

その時間は単なる答え合わせとはかなり違っていて、

亡くなった方への敬意、そしてご家族との相互の想いも感じられ、この故人とコンタクトをとっている間はとても深くて厳かな気持ちになります。


他の人がどういう情報を受けとったのか、そのシェアを聞いていると知覚する内容や知覚の種類が様々あることに驚いたり、その独特さに感嘆することもしばしばです。


自分の場合で考えても、これまでのコンタクト経験の中で毎回受けとる情報のアンテナは違いますし、情報の量や質も変わります。

例えば終始穏やかなエネルギーを感覚的に受けとりつつ 映像でもはっきりと受け取れる情報が混在することもありますし、別の方とのコンタクトでは身体的感覚のみで受けとる内容もありました。


また、故人と写真提供者さんとの関係性や繋がり、提供者さんの想い、故人について知りたいと思う気持ちによってコンタクト中は広く大きな愛に満たされ、温かいエネルギーを感じます。言葉にしてしまうと陳腐に感じてしまうぐらい、今ある言語では表現しきれないエネルギーなのです。



故人とコンタクトをとる経験をするようになって時々、思い出す記憶があります。

小さい頃、

初めて”死”を意識したきっかけがあって、死ぬことへの恐怖と悲しみを強烈に感じました。

夏休みには出かける父の背中を見送ると「お父さん、死んでしまう・・・」と庭の塀に隠れてひとり泣いていた記憶もあります。

父はその後もずっと元気でしたけど・・・(^^;


死ぬってどういうことだろう?という疑問がふとつきまとい、死んだら真っ暗な世界に閉じ込められるんだ・・・とその世界を想像して、それでも日中は明るくて気持ちがそこに没入することはないのですが、寝る際に照明を真っ暗にされるのが大嫌いになっていました。

小学校の低学年の頃です。

思えば、わたしは子供のころから”死”や”死後の世界”に対して、興味と怖れ含めてかなりのエネルギーを費やしてきたのかもしれません。


オトナになって前世の存在はあると捉えてはいますが、亡くなった直後のイメージは子供の頃から変わっておらず、基本的には”無”だったり、”真っ暗”なんじゃないかという思いはいまだに自分の隅っこにあります(^^;

アタマでの理解と、とっさの反応にギャップがあるのは否めない。


ただ、子どもの頃と違うのは、

「亡くなる」とは肉体がなくなることであり、

魂は永遠で、何らかの役割や繋がりを持って存在していく、、、

そういう認識になっているところ。


それと、苦手だった”真っ暗”に身を置いてみると、

”無”しかないと思っていた感覚は、そこから浮かんでくる静けさを受けとっていて決して何もないわけじゃないんだということを知ったのも、このワークショップに参加したことで起きた変化のひとつかもしれません。


とはいえ、わたし達はこうして物質世界で生きているので目に見えない世界に対して信じる度合い、疑う度合いって個々それぞれにあると思います。

疑う人がいてもOKですし、信じる人がいてもそれまたOKですし、

「わからない」って言える人も、正直でよろしい!と思います。


人は自分が信じている世界を見て、生きてますからね。

真実は人の数ほどあるのかもしれないですし、いろんな立ち位置の意見があってごく自然、当然だと思います。

それでいいんだろうとも思います。


星海ケンのオフィシャルサイト

https://www.neutral-ken.net/




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