hypnoeriko
【日常】泣くっていうこと
更新日:2021年12月16日
近くの川沿いをいつものように走っていたら、向こう岸にある大きめの公園から子どもの泣き声が聞こえてきました。姿は見えないけれど、大きな声で「うぇぇぇぇん!なんでぇ・・・なんでなのぉ・・・いやだぁ・・・うぇぇぇぇん!」と、泣いてました。
3才か 4,5才ぐらい?の女の子、思い通りに行かないことがあったのかな、正真正銘の”だだこね泣き”です。
そういえば、少し前にも 聞いたなぁ。
「びぇぇぇぇん!抱っこしてぇ、抱っこしてよぉ・・・・びぇぇぇぇぇん!」と、その男の子はお母さんのあとを走りながら泣いてました。
この時はちょっと切なかったです。
「抱っこしてぇ」というのはおそらくその子なりの「仲直りしたい」とか「抱っこされて安心したい」ではないだろうか?と思いながら通り過ぎて。
でもそういう時のお母さんって、がんこちゃんオーラを出してるんですよね、我が子の泣き姿を無視しようと前をすたすた歩いていく。。。みたいな(苦笑)。
抱っこしてあげたい気持ちとイライラ感のせめぎ合い、こういう葛藤はわからないでもない 、ほんとに (^_^;)。

息子は赤ちゃんの頃から比較的穏やかで ぼぉっとした子でしたが、2才前後の時にものすごく泣かれたことがあります。
近所のお寺の縁日に金魚すくいならぬ ”スーパーボールすくい” の出店が出ていたのです。息子、初体験だったのですが当然ながら動きはままならず、あとにお客さんが連なっている様子を見てぎょっとした主人が途中からチャッチャと残りをやってしまい(片づけてしまい?)、息子を抱っこしてその場所から離れたのです。そうしたら、なんと息子は、今まで聞いたことのないような抗議の泣きを見せたわけです、地面にしがみつくような感じで。
あぁ、自分で最後までやりたかったんだなぁとかわいそうになりました。○○したい!という意思で臨んだはずなのに、大人の都合と判断で片づけちゃったことを悪かったなぁと・・・っていうか、その時は息子の泣きっぷりからそう思わされたというのが近いかな。
まあこんな風に、子どもの気持ちを尊重しようと思っていても、とっさの判断でいつもの行動をしている私達がいましたっけ。
でも子どもの気持ちは成長していて、意志や感情をぐんぐんこちらに向けて表してくるんですよね。
自分の子ども時代に大泣きしたことではっきり覚えているのは、小学校1年生の頃、地元の盆踊り会で踊る花笠音頭の練習をしていた時の事です。
その日は照明の明るさがやたら目に刺さるというか刺激感が起こり、だんだん目を開けていられなくなってしまいました。それでも我慢して踊っていたんだけど刺激感は強くなるもんだから、体を回す時は目を閉じて回っているような状態。周りで見ていた大人の人が、何やらおかしな動きをして踊っているわたしの異変に気づき輪の外に出してくれたのです(相当ふらっふらだったんでしょうね)。
ちょうどその会場には母親もいたんですが、母からは見えていなかったのか全く気づいていなかったようで、外に出してくれた人が私を母のところに連れてきたことでわかったようでした。
さて、わたしは母の顔を見た途端に張りつめていた気持ちの糸がぷつんと切れたようで、「びぇぇぇぇぇぇん!痛いよぉぉぉぉぉ!!」の、破裂したような大号泣。
当時のわたしは踊るのが大好きで、その輪から離れたくなかった、ずっと踊っていたかったのです。
ちょっと光が目にしみるなぁぐらいは感じていたものの踊りたい気持ちのほうが勝っていました。でも途中からどうにもならず、踊り子さんの輪から離脱したわけです。
それにしても外でそんな風に泣くキャラではなかったので、これほど目に刺激感があって、それでも踊っていたかったんだという気持ちに自分でびっくりしたことを今も覚えています。
それと、泣いてすっきりしたような気持ちだったことも覚えている。。。”泣ききった” というか。
セッション中に涙を流すクライアント様は多いですが、面談中に泣いてしまわれるクライアント様も中にはいらっしゃいます。
過去の出来事を思い出して、あるいは大切な存在のことを思いながらせき止められていた感情が溢れてくることもあります。
感情が表出するのはセッション(催眠状態)に入ってからとは限りません。
目を開けながらにして触れたい部分、閉じていた部分に触れてしまうこともあるかと思いますが、その時は泣きたい気持ちを抑えないでほしいです。
さて、最近わたしが見かけたそれぞれの子ども達、大きくなった頃にはこの すっごく泣いた出来事はすっかり記憶に残っていないかもしれませんね。
個人的にはどんどん泣いたほうがいい、泣けるって素晴らしいと思います。子どもの頃のように「抱っこしてほしい」「これをしたい」「寂しい」等、その時の気持ちをストレートに言葉にしたり 泣ききるのは、素晴らしいことなんだなと思うんです。
加えて、泣きたい気持ちに寄り添ってくれる存在が周りにいること、
泣きたい気持ちを受入れられる自分がいることも、
大切なのかなと 思います。
