hypnoeriko
【日常】心って揺れていいんだと思う
更新日:1月4日
東日本大震災の当時の映像の中に、都心の『長周期地震動』の様子を撮ったものがありました。
西新宿に立ち並ぶ高層ビルが長く揺れて、しかも隣のビルとシンクロしているようでしていない、それぞれの建物がまるでムーミン谷に生息するにょろにょろのようにも見えてました。
あれ、結構長い時間の揺れでしたよね。ビルの上の階はどんな状態で、そこにいる人達はどんな心持ちでいたんだろう?と想像しては怖さで震えそうでした。
「揺れ」って、個人的にはあまりいいイメージがありません。
特に地震大国の日本では「揺れ」と聞くとまず怖いイメージがついてくる。
ちなみに私は飛行機や船の「揺れ」も苦手で、揺れ=落ちる(あるいは傾く)映像に直結してしまいます。

「揺」の漢字を使う「動揺」という言葉もありますね。
外部の刺激や内側の感情によって心が揺れ動いている不安定な状態・・・。
そう、揺れるというのは「不安定」イメージと結びつきがちです。
「今心が揺れてます・・・」なんて聞くと、おっと、大丈夫かな?この人??って心配になっちゃいます。
でも、わたし達の心の状態って基本的にはいつも揺れているのではないかと思います。
例えば大切な人と口論したあと、一人でいると相手の非を咎める一方で反省やら後悔やら心の中で葛藤する・・・。
自分が間違ってないと思いつつも、言い方が悪かった?とかああすればよかったのか?とか自分がやらなかったことや やり過ぎたことを思い返すが、とはいえ言い分を尊重したい自尊感情もあるし、まあ、なんだかんだと結論の出ない自問自答をしっかりやってしまいます。
この例、実は最近の私の経験談。
3人で飲んでいて、結構杯数を重ねた友人のひと言で私が かっちーん!となり、マジで反論したっていう流れです。もちろん相手を否定はしませんよ、自分の主張のみ伝えたというだけなんですが、後味いいものじゃないですよね。それで翌朝にLINEでお詫びを入れたものの、相手は「ごめん、覚えてなーい!」と。笑
飲み会当日の夜は夜であれこれ揺れてましたけど、実はその返信を見ても心は落ち着かず、ん?とぼけたフリしてる??という疑念まで起きてしまうぐらい、大いに!揺れました。
まさに心の「揺れ」ですね。
揺れが起きている時はいろんな考えや想いが寄せては引いて、引いては寄せてと波のように動きまくってます。
口論なんてしなくても、一日の中で私たちの心はほぼ揺れまくってます。
引いていうと人生は揺れまくってるといっても過言ではないかもしれない。
冒頭に「揺れ」って良いイメージがないって書きましたけど、、、
この心の揺れに関しては、私は肯定派です。
揺れていいじゃん!って思います。
揺れる状態は”悩む”ことと同じかもしれませんが、揺れるのは(どうにかしよう!)と心が機能しているからこその「揺れ」だと思うからです。
面談で「苦しいんです」と言われると、自分の中で何とかしようとされているんだなと想像します、だからこそ苦しいんだろうと。
大体にして 考え方に一貫性があって感情に流されないような人間性を持つような人にお会いしたことなんて、今まで一度もないです。
だから揺れてもらって大いによし、どうせならその揺れ方の内側を言語化してほしいなと思います。
それは日記やブログでもいいし友人や家族との会話でもOKだし、カウンセリングの場だってありだと思います。
それと、心の状態を改善しようと今何らかのセラピーを受けたり、カウンセリングを受けている人がその経過の中で陥る感覚があります。
誰もが陥るというわけではありませんが、経験する方はいらっしゃると思います。
それは、元の自分に戻っちゃってるんじゃないか?っていう感覚。
過去と今の心持ちに揺れてますね。
でも、それだって揺れていいんだと思うんです。
実際に戻っているかどうかはわからないですが、また戻っているんじゃないか?と、そう思う感覚は自然なことだと思います。
長い年月をかけて積み重ねてきた信念や価値観はアイデンティティーの礎(いしづえ)でしたから、そりゃ揺れます。
揺れても、また戻ってる?と思っても、実は新しい気づきや捉え方が少しでも自身の中にあれば、戻った先での感じ方が違います。
揺れは、それを示してくれる1つのきっかけかもしれないです。
揺れてるなって思ったら、揺れている自分に許可してあげてください。
揺れていいんだよって、あなた自身を尊重してあげてください。
あなたが見たい景色をあきらめないでくださいね。
